「仕事の在り方を国家単位で変えるような
パラダイムシフトを起こしたい」
スペイン育ち、ボクシング日本一、慶應、Google。AIで日本の働き方を変えようとする20代。華やかな肩書きの裏にあったのは、偶然と極端な努力、そして少し変わった家族から受け継いだ価値観だった。

甲斐 隼人 ― 起業家。AIによる新たな雇用の創出を掲げる。
取材場所に現れた彼は、柔らかな笑顔で、スタッフ一人ひとりに丁寧に挨拶をした。スペインと日本にルーツを持つ、はっきりとした顔立ち。穏やかな話し方。そして、シャツの上からでも隠し切れない筋肉。
経歴だけを並べると、スペインとのハーフ、ボクシング日本一、慶應義塾大学卒、Google出身。学生時代には会社を立ち上げ、現在はAIによる新たな雇用の創出を掲げている。正直、20代男性として、トップ・オブ・トップと言っても過言ではない経歴である。
しかし、その人生を聞いていくと、華やかな肩書の裏には、偶然と極端な努力、そして少し変わった家族から受け継いだ価値観があった。
まず、幼少期のお話から聞かせてください。10歳までスペインで育ったそうですね。
はい。父がスペイン人、母が日本人で、10歳までスペインで暮らしていました。ただ、一般的にイメージされるような、「情熱の国スペインで、陽気な家族と暮らしていました」という家庭ではありませんでした。父は、酒やドラッグ、暴力など、いろいろな問題を抱えていて、何度も逮捕されていました。
開始30秒で、スペインの陽気なイメージが完全に消えましたね。
観光大使には向いていない話から始めてしまいました。(笑)ただ、問題ばかりの父親ではありましたが、私にとっては世界に一人しかいない父親でした。大好きでしたし、父から受け取った価値観もあります。父は、私の行動や発言に対して、よくこう問いかけてきたんです。「それは男前なのか?」
男らしくしろ、ではなく、「男前か」と問う。
そうです。例えば、夕食のときに私が「今日、近所でいじめられている子がいた」と話したことがありました。すると父は、「それで、隼人はどうしたんだ。助けに行ったのか。それとも、見ていただけなのか」と聞いてきました。私が「いじめていた人たちは大人だったから、何もできなかった」と答えると、父は私に「その行動は、男前だったのか?」と聞きました。
「助けろ」と命令するわけではないんですね。
そうなんです。「こうしなさい」とか、「男はこうあるべきだ」と押し付けるのではなく、常に私自身に考えさせる。自分の行動は男前だったのか。自分の発言は、自分が格好いいと思えるものだったのか。子どもながらに、その問いはすごく残りました。父自身の人生は、決して人に勧められるようなものではなかったと思います。でも、父から受け取った「男前かどうかを自分に問う」という価値観は、今の私にも残っています。
反面教師でありながら、人生の判断軸も与えてくれた。
そうですね。父の行動は、男前ではないことも多かったんですけどね。(笑)
そこは冷静に評価するんですね。(笑)
「それは、男前なのか?」
10歳のとき、母が父との離婚を決めました。そのとき母から、突然こう言われたんです。「お父さんとスペインに残るか、お母さんと日本に帰るか、どちらか選びなさい。5分後に戻ってくるから、それまでに決めておいて」
5分ですか。
5分です。人生を左右する選択なのに、カップラーメンが少し伸びるくらいの時間しかありませんでした。(笑)父も母も好きでしたし、生まれ育ったスペインも大好きでした。日本に行けば、言葉も生活も人間関係も全部変わります。どうしても自分では決められなかったので、最後は地面に木の枝を刺しました。そして、枝が倒れた方に行こうと決めたんです。
人生最大の意思決定を、木の枝に外注したんですね。
はい。究極の二択を、枝に丸投げしました。(笑)その枝が倒れたのが、日本の方向でした。だから、日本に来ました。
逆に倒れていたら、今ここにはいなかったかもしれない。
本当にそう思います。私の人生は、木の枝が決めたと言っても過言ではありません。大事な経営判断に迷ったときも、ときどき枝を探します。
そこはGoogleで身につけた意思決定手法を使ってください。(笑)
日本では、どのような家庭で育ったのでしょうか。
母は大阪の北新地にあるクラブで、トッププレイヤーとして稼いでいたホステスでした。姉が二人いて、母と姉二人に囲まれて育ちました。実家での会話は、今振り返ると、私の恋愛力や会話力を鍛える大喜利大会みたいな時間でした。
恋愛の英才教育ですね。
英才教育のはずだったんですけど、教育成果については、後ほど詳しくお話しします。(笑)例えば、母から突然、「もしクラスの女の子に、『隼人くん、かっこいいよね』って言われたら、何て返す?」と聞かれるんです。私が「そんなことないよ、って返すかな」と言うと、母と姉二人から「いやいやいや、その回答はモテへん」と、一斉にダメ出しされる。そして母が「モテる男はな、『そんなことないよ。上の下だよ』って返すねん」と言うんです。そこで相手から「いや、上なんかい」とツッコませて、笑いを取る。
謙虚さと自己肯定感と笑いを、一度に成立させていますね。
ここで鍛えられた大喜利力は人生の色々な場面で役立っています。(笑)
日本の小学校に入ってからは、サッカーを始めたそうですね。
小学4年生で来日して、すぐにサッカークラブに入りました。当時はかなり上手で、4年生の段階で6年生のチームに入って活躍していました。ただ、致命的な問題がありました。私は目立ちたがり屋だったので、点を決めるフォワードにしか興味がなかったんです。守備をするとか、味方のために走るとか、目立たないところでチームに貢献することには、あまり魅力を感じませんでした。
チームスポーツへの適性が、思想の段階で欠けていますね。(笑)
「自分が点を取れないなら、今日の試合は何のためにあるんだろう」くらいに思っていました。(笑)そんなとき、たまたま深夜に『ガチンコファイトクラブ』を見て、ボクシングに目覚めました。私の人生、木の枝と深夜番組で、だいたい方向が決まっています。ボクシングは、勝っても負けても、すべて自分の責任です。味方がパスをくれなかったとか、監督の戦術が悪かったとか、言い訳ができない。その分かりやすさが、自分に合っていました。
そこから、相当ボクシングにのめり込んだそうですね。
中学、高校時代は、ほぼボクシングしかしていませんでした。毎朝3時半に起きて、学校に行くまでの約4時間、練習をしていました。そして学校に行って、授業中は爆睡です。
学校で学ぶための生活ではないですね。
学校は、午前練習後の回復施設だと思っていました。(笑)合唱コンクールも文化祭も、学校行事には一切参加しませんでした。放課後も練習があったので、クラスのみんなが文化祭の準備をしている横を、私はグローブを持って帰る。
友人たちが歌や演劇の練習をしているときに、殴り合いの練習をしていた。
そうです。ただ、それくらいのめり込んだ結果、高校、大学で階級別の日本一になることができました。
当時のジムは、どんな環境だったんですか。
私が入ったジムは、「肩書」――つまり強さの序列を、ものすごく大切にする世界でした。試合に負ければ、先輩たちから容赦なく袋叩きにされる。勝ち負けがそのまま立場に直結する、かなり厳しい環境でした。
相当、過酷ですね。
もう時効だから言えますが、当時練習していた建物の3階から落とされたこともあります。(笑)
大学は慶應義塾大学ですね。
はい。ボクシングのスポーツ推薦で入りました。ただ、周りの人に「慶應なんだ。優秀なんだね」と言われると、「そうなんです」と、あたかも一般入試で入ったような反応をしています。(笑)
否定はしない。
聞かれていないことまで、自分から説明する必要はないと思っています。(笑)
記事には、はっきり書いておきますね。
ついに真実が世に出てしまいますね。(笑)
大学時代には、B-MONSTERのパフォーマーもしていました。
はい。B-MONSTERは、真っ暗な空間の中で、洋楽やクラブミュージックに合わせて、ボクシングの動きを取り入れた高強度の有酸素運動を行うフィットネスジムです。日本一ハードな有酸素運動と言ってもいいと思います。会員の中心は、20代から30代前半の、経済的にもある程度余裕があり、独身でストイックな女性の方々でした。そういう皆さんに、当時20歳前後の私が、「死ぬ気でやれ!」「何のためにここに来たんだ!」「おい、この中で一番かっこいいのは誰だ!」「まだいけるだろ、頑張れ!」と、ひたすら追い込んでいました。
かなりSな仕事ですね。
でも、私は生来、別にSな性格ではないんです。なので罵倒しながら、心の中では「ごめんなさい。ひどいことを言って」と思っていました。(笑)表では「止まるな! 自分に負けるな!」と言いながら、心の中では「無理しすぎないで。帰ったらゆっくり休んでください」と思っている。
感情の二重構造がすごいですね。(笑)
ただ、B-MONSTERは本当に楽しかったです。45分間という決められた時間の中で、どんなレッスンにするかをすべて自分で考えられました。曲の選び方、曲順、サーキットメニュー、盛り上げるタイミング、最後にどんな言葉をかけるか。一つのレッスンを、自分で企画して、自分で演出して、自分で実行する。今思うと、商品開発とマーケティングと営業とライブパフォーマンスを、全部一人でやっているような仕事でした。
物販の成績も、かなり良かったそうですね。
自分のファンになってくださる方を増やして、プロテインやサプリメントを買っていただくことにも力を入れていました。一番すごかったときは、70人満席のレッスンで、70人中58人が、約6,000円のプロテインやサプリメントを購入してくれたんです。
58人ですか。
58人です。レッスン後に「帰りに買ってくださいね」と何度も念押しした結果です。(笑)
すごい販売力ですね。
今考えると、かなり強めのクロージングです。(笑)70人を45分間追い込んで、判断力が落ちたところで販売しているので、営業手法として再現していいかは分かりません。
コンプライアンス部門に確認が必要ですね。(笑)
ボクシングやフィットネスの一方で、学生時代からテクノロジーにも関心があった。
はい。学生時代に、自分でインターネット広告の会社やSEOの会社を立ち上げていました。小さい会社ではありましたが、企業から仕事を受けて、広告を運用したり、検索順位を上げる支援をしたりしていました。スポーツ一筋に見られることが多いんですけど、同時にインターネットやテクノロジーにも、ずっと興味がありました。その活動をGoogleのOBの方が見つけてくださって、リファラルに近い形でGoogleに入社することになりました。なので、私は新卒の就職活動をしていないんです。
就職活動をせずにGoogleに入った。
はい。大学卒業後も半年ほどB-MONSTERを続けていたのですが、その頃は、月に80万円くらい給料をいただいていました。その状態で、日本の就活生に人気がある、いわゆる「○○商事」とか「なんとか広告代理店」みたいな会社の給料を見ると、「え、月給23万円なの?」と、全然魅力を感じなかったんです。
新卒としては、金銭感覚がかなり壊れていますね。(笑)
Googleの配属については、希望を出さなかったそうですね。
入社するときに「配属はどこでもいいです」と伝えました。私は、どこでもいいと言っても、東京か大阪あたりだと思っていたんです。そうしたら、まさかのシンガポール配属になりました。
「どこでも」の解釈が、グローバル企業ですね。(笑)
本当にそうです。当時のボスから「慶應卒なら、ビジネス英語は半年くらいで身につけられるよね」と言われました。そこで私は、「いや、スポーツ推薦なんです」の「ス」まで言いかけて、やめました。(笑)
また経歴の説明を省略した。
期待されているなら、その期待に応えた方がいいと思いまして。(笑)結果的には、必死で英語を身につけました。ボクシングで日本一になったときと同じで、逃げられない環境に置かれると、何とかするタイプなんだと思います。
Googleは、どのような会社でしたか。
本当にいい会社でした。成果を出すためであれば、自分で手段を考えることができる。誰を巻き込むのか。どの部署と連携するのか。どんな進め方をするのか。すべてを自分で考えられる環境でした。上司から「これをしろ」「お前のここが駄目だ」と言われることは、ほとんどありませんでした。代わりに、常に問われるんです。「あなたは、どうしたいの?」「それを実現するためには、どうすればいいと思う?」「誰を巻き込めば、前に進むと思う?」
子どもの頃、お父様から「その行動は男前か」と問われたことにも通じますね。
確かに、そうかもしれません。答えを与えられるのではなく、自分で考えるための問いを渡される。Googleには5年間いましたが、その問いの中で育ててもらいました。だから、本当に大好きな会社です。
答えを与えられるのではなく、
自分で考えるための問いを渡される。
Googleに恩返しをしたいという思いもある。
はい。ものすごくあります。ただ、Googleに対して何か業務を提供するとか、Googleの仕事を手伝うという意味での恩返しではありません。Googleを超えるくらいのインパクトを、社会に生み出すこと。それが、私にとっての一番の恩返しだと思っています。
大好きな会社だからこそ、超えたい。
そうです。Googleから学んだことを使って、Googleがまだ実現していない変化を起こす。それができたときに、初めて「Googleで育ててもらった意味があった」と言えると思っています。
現在は、AIの領域で新たな雇用をつくることを掲げています。
AIは、単に資料作成を速くするとか、問い合わせ対応を自動化するといった範囲の技術ではありません。企業の競争力、個人の能力の発揮方法、仕事の定義そのものを変える可能性があります。もちろん、AIによってなくなる仕事はあると思います。ただ私は、「AIに雇用を奪われないようにする」という守りの発想ではなく、「AIを使って新しい雇用をつくる」という側に回りたい。AIをきっかけに、これまで存在しなかった仕事や稼ぎ方を生み出し、仕事の在り方を国家単位で変えるようなパラダイムシフトを起こしたいと思っています。
人生の目標は、「歴史の教科書に載ること」だそうですね。
はい。よく、「歴史の教科書に載るような活躍をしたい」と比喩的に言う人がいますが、私は比喩ではありません。本当に載りたいんです。
掲載を希望している。
未来の子どもたちが学校で歴史を学ぶときに、「AIによって日本の雇用構造を変えた人物」として、自分の名前を見てほしい。自分が生きたことで、社会の進む方向が変わったと、後世に残したいんです。
比喩ではありません。
本当に、載りたいんです。
すみません。記事の本筋とは全く関係ないのですが、触ってみてもいいですか。
どうぞ。(笑)
え、でかい。ちょっと皆さん、これ、触った方がいいですよ。
でかい。
これは胸というより、家具ですね。
ニトリでは売っていないタイプの家具です。(笑)
何をしたら、こんなことになるんですか。
実は、物理的に強くなりたいと思ったんです。ボクサーや格闘技の選手って、決まったルールの中ではめっぽう強い。でも、たとえば腕相撲で負けたら、なんだかかっこ悪いなと思って。(笑)そこから純粋に筋量を増やしたくなって、いまはパワーリフティングにも取り組んでいます。大会では、ベンチプレス180キログラム、スクワット260キログラム、デッドリフト220キログラムを上げています。合計660キログラムです。
数字が、人間一人の移動量ではないですね。
引っ越し業者に転職しても、即戦力になれると思います。(笑)
ここまでお話を伺って、一つ確認したいんですが。甲斐さん、絶対にモテますよね。
それが、びっくりするほどモテないんです。
またまた。
本当にビビるぐらいモテません。どのくらいビビるかというと、『シャッター アイランド』のオチぐらいビビります。
それ、全米が驚くほどのやつじゃないですか?(笑)北新地式の恋愛英才教育を受けたはずなのに。
母と姉には、かなりの教育投資を無駄にさせてしまいました。(笑)
なぜ、モテないと思いますか。
恋愛を、人生の第一優先にして日常を送っていないからだと思います。これはあくまで私自身の経験上の感覚ですが、日本の女性の中には、パートナーに対して「自分を一番に考えてほしい」「自分との時間を最優先にしてほしい」と思う方が多い気がします。それ自体は、すごく自然な願望だと思います。ただ、私は今、急成長しているAIの領域で、新しい雇用をつくりたい。これまでの仕事の在り方や、人の稼ぎ方を、国家単位で変えるようなパラダイムシフトを起こしたい。だから正直に言えば、私の人生の最優先事項は、恋愛ではありません。
相手からすれば、「私と仕事、どっちが大事なの」と聞きたくなる。
そうですね。そして、その質問に対して一瞬でも考えてしまう時点で、だいぶモテないと思います。(笑)
正解は、間髪入れずに「君」ですよね。
北新地の母にも、確実に怒られると思います。「そこは、『君がいるから仕事も頑張れる』くらい言え」と。(笑)
恋愛そのものを否定しているわけではない。
もちろんです。むしろ、大好きな人と一緒にいる時間は、ものすごく好きです。ただ、恋愛だけを人生の中心に置くことはできない。よく恋愛では「ドキドキさせてほしい」「私をお姫様にしてほしい」という願望が語られます。それも素敵だと思います。ただ私は、毎日お姫様扱いをしてくれる王子様タイプというより、癖の強い革命家タイプな気がしています。もし「私を一番にしてほしい」ということ以上に、「この癖の強い男と、日本に変革をもたらすパートナーとして、普通の人生では見られない景色を見たい」と思ってくれる、大変変わり者な女性がいたら、私はいつでもお付き合いしたいと思っています。
募集要項が、恋人というより共同創業者ですね。(笑)
恋人兼、人生の共同創業者ですね。ストックオプションは出ませんが、面白い景色は見せられると思います。(笑)
お金に対する価値観も、以前とは大きく変わったそうですね。
20代前半から中盤の頃は、外資系企業で比較的高い給料をいただいていたので、物質的なもので欲求を満たしていました。年会費が何十万円もする会員制のサウナクラブに入ったり、会員制のバーに入ったり、特に目的もなく高級ホテルに泊まったり、ブランド品を買ったり。
分かりやすく成功者っぽい生活ですね。
そうですね。当時は、「高いものを買える自分」に価値を感じていた部分があったと思います。でも、一通り経験して、今は価値観がかなり変わりました。正直、今の私は月に20万円、年収で300万円くらいあれば足りてしまうんです。
Google出身で、歴史の教科書を目指している人の生活費とは思えませんね。
だって、朝起きて、牛丼を食べて、筋トレをして、面白い本や映画を見て、仕事に没頭して、夜は大好きな人とイチャイチャして寝る。これって、1日1万円もかからないですよね。
最後の項目だけ、相手の合意が必要ですけどね。(笑)
そこが一番入手困難です。(笑)高いホテル、高い服、会員制の空間。今でも良いものは好きですし、それ自体を否定するつもりはありません。ただ、それらは一時的に気分を上げてくれても、自分が本当にやりたいことを明確にはしてくれませんでした。今は、何を持っているかより、何に人生を使っているかの方が大事です。筋トレをして、学び、仕事に没頭し、好きな人と時間を過ごす。自分にとっての幸福は、意外と安い。でも、自分が実現したい社会は、ものすごく大きい。そのバランスが、今は気に入っています。
自分にとっての幸福は、意外と安い。
でも、自分が実現したい社会は、ものすごく大きい。
最後に、これから実現したい未来を教えてください。
AIを使って、人の仕事をただ減らすのではなく、人が新しい価値を発揮できる仕事を生み出したいです。AIによって、一部の企業や一部の人だけが豊かになるのではなく、これまで能力を発揮する機会がなかった人にも、新しい役割や、新しい稼ぎ方が生まれる。AIの導入が、働く人にとって恐怖ではなく、希望になる社会をつくりたい。
「歴史を動かす前に、まずバーベルを動かしていますから」
その場に、取材中で一番大きな笑いが起きた。
甲斐 隼人 Hayato Kai
- ルーツ
- スペイン人の父・日本人の母。10歳までスペイン、以降は日本で育つ
- スポーツ
- 高校・大学で階級別ボクシング日本一/現在はパワーリフティング(BIG3合計660kg)
- 学歴
- 慶應義塾大学
- キャリア
- 学生起業(ネット広告・SEO)→ Google(シンガポール/在籍5年)
- いま
- AIによる新たな雇用の創出。働き方の国家単位のパラダイムシフトを掲げる
- 目標
- 歴史の教科書に載ること
取材・文|小宮 聡(Forbes JAPAN 記者) 撮影|― 編集|FORBES NEXT 編集部


